2008年03月13日
ビバ☆昭和のヒット曲(杉山清貴in「朝ヒット」)
今日のゲストは、杉山清貴さん。
1959年生まれ、48才。
1983年杉山清貴&オメガトライブでデビュー。
デビュー曲は「サマーサスピション」。
1985年12月、2年9ヶ月で解散。
その後ソロとなる。
フジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』の毎週木曜日のコーナー、
「朝のヒットスタジオ」
(昔、フジテレビの生放送の歌番組に「夜のヒットスタジオ」という豪華な歌番組がありました。)
司会の小倉さんは、大の音楽好き。
クラシックから洋楽、インディーズまで、たいへんな音楽通の方です。
今までこのコーナーのゲストに出場したのは、中西保志さん、もんたよしのりさん、甲斐バントの甲斐よしひろさん、渡辺美里さん、他多数。
昭和の時代にヒット曲を出され、一時代を築いた方々です。
この「朝ヒット(朝のヒットスタジオ)」は、ゲストの方の歌が流行った時代背景などを紹介しながら、当時の映像と思い出話と共に振り返り、そして今のその方にもスポットを当てていく趣旨です。もちろん生放送、生歌です。
「とくダネ!」の番組後半の9時半頃からの放送なのですが、
今日は、オープニングから司会の小倉さんは、この「朝のヒット」の話をしてました。
このコーナー、とても人気があるそうです。(小倉さん談)
新聞にこのコーナーに関する投稿があったりするそうな。
「これだけ2時間でやらない?」、とか言ってました。
さて、ゲストの杉山清貴さん。
もともとはビートルズ好きな少年。
高校卒業後、ライブハウスで引き語りをしたり、バンドを組んだり。
「杉山清貴&オメガトライブ」の前進は、「きゅうていぱんちょす」という、カーリーヘアーにジーンズというロックバンド風のスタイルのバンド。(そのメンバーの中には、今や日本を代表する音楽家の千住明さんがいたり、「シュガー」の前進のメンバーがいたり。)
どちらかというとロックテイストの「きゅうていぱんちょす」が「海の香りのする都会的なサウンド」を作りたかったプロデューサーの目に留まり、「メロウなシティポップス」を歌うバンドとしてデビュー。
ということで、↓のように白ジャケにサングラスというキザな…、いや(汗)、おしゃれな都会的雰囲気で歌うこととなります。
しかし、3年も経たずに杉山さんの強い希望で解散。
「ふたりの夏物語」は、1985年、JALのコマーシャルソングで大ヒットし、その年12月の解散までに、「サイレンスがいっぱい」「ガラスのパームツリー」の2曲をリリース。(いずれもヒットした。)
3年弱の間に出したアルバムは5枚。
杉オメ(杉山清貴&オメガトライブ)の曲は、シングルでベストテンにランクインしたヒット曲よりも、アルバムの中に数々の名曲があるのでは、と思います。
さまざまな恋のシュチエーションが散りばめられ、ユーミンの男版という風に私は感じていました。
テレビ局側からの打診は、「あの時のあの歌」というような趣旨だと思うので、当時ヒットしたこの歌を、杉山さんサイドに依頼したのだと思うけれど、私個人としては、デビュー曲の「サマーサスピション」か「ガラスのパームツリー」を歌って欲しかったな。
「ふたりの夏物語」は夏のCMソングだっとこともあり、一言で言うと、非常に「ナンパ」な歌詞です…。
時代はバブルちょい前、でもまさに「バブルな歌詞」(笑)。
♪流星に導かれ都会は夜のマリーナ
♪ルームナンバー砂に書いて誘いをかけた
♪キールのグラスを頬に当てて
♪「本気と?」笑ったマーメイド
(私が、「キール」の意味がわかったのはだいぶ後になってからです。)
宵っ張りの朝寝坊で、出演依頼前にたまたまこの「朝のヒットスタジオ」を見ていて、「自分には無理だな。朝早いから。」と思ったそうな(笑)。と、そこへ所属事務所から「出なさい。」とのこと。正直、「朝から声でるかな。」と思ったらしい。
リハーサルは6時半だそうな。(わぁお~!)
でも見事に歌いきっていた…と思います。
ノリノリ!でした!
この方はいろんな歌い方が出来る、いろんなタイプの歌が歌えるヴォーカリストだと思います。
爽やかで、澄んだ水のような声で、特に高音の張った声は素晴らしい。
声の質、歌唱力、表現力。あの頃も今も私の中では一番です。
人生の折り返し地点も過ぎ、成人した娘さんもいて、もうすぐ五十に手が届くお年の方ですが、世の中の同い年の方と比べると、かなりお若い。いや、と~っても若い。
お腹も出てないし、なによりも声年齢が若いです。声だけ聞いたら30代、いや20代後半位に聞こえるかも。
ボディーボード(海)とギターがあれば(あっお酒も)、もうなんにもいらない(笑)、とご本人は日頃申しております。
でも、この方にはやっぱりラブソングをずぅ~と、歌って欲しいものです。
この方のバラードは絶品です!
二十年の時を経ても私は好きですね(^^)/杉山さん。
♪JUST オンリーユー
Posted by エバーラスティング at
22:17
│Comments(0)
2008年03月10日
ビバ☆昭和のCMソング(横浜タイヤ)
♪シングル・プレイのつもりが〜
Youtubeで見つけた動画です(^O^)/
1981年から1983年あたりの『横浜タイヤ』のコマーシャルソングの集大成という感じでしょうか。
この『横浜タイヤ』のCMソングからは数々のヒット曲が誕生しています。
寺尾聰、稲垣潤一、
安部恭弘、鈴木雄大。
「♪ロング・バージョン」は稲垣潤一さんの歌です。
作曲者は、↑のCDジャケットの方「安部恭弘」さんです。
安部恭弘さんの歌もこのCMで何曲も流れてました。
♪We Got LIT!、♪CAFE FLAMINGO、♪STILL I LOVE YOU、♪トパーズ色の月。
稲垣潤一さんの歌は、
♪ドラマチック・レイン、♪ロング・バージョン、♪バチュラガール
この『横浜タイヤ』のCMソングで一番ヒットしたのは、
寺尾聰の「♪ルビーの指輪」です。
そのほかに同じく『横浜タイヤ』CMソングとして流れた寺尾さんの歌は、
♪SHADOW CITY、♪ダイヤルM、♪出航SASURAI.
寺尾聰さんは「西部警察」などで、役者としてテレビに出てましたが、おしゃれなシティ・ポップスを渋く歌われて、
大人の歌手…という感じでした。
この『横浜タイヤ』のCMソングはたしか、土曜夜9時のゴールデン洋画劇場で流れていたと思います。
映画より、このCMが見たくてテレビを見ていた気がします。
車のタイヤのCMですから、颯爽と走る車のシャープな映像が流れます。
そして、バックに流れるCMソングは一流のスタッフによる絶妙なアレンジがされた曲、都会的な歌詞、歌声。
寺尾聰さんが渋い大人の男の声、阿部恭弘さんは甘い繊細な声、稲垣潤一さんはセクシーで優しい声。
鈴木雄大さん、1曲しか知らないのですがちょっとせつない感じの声でした。
稲垣潤一さんの♪ロング・バージョンは、力強くストレートに歌われてます。
安部恭弘さんの♪ロング・パージョンは、ボサノバ調でまったりした感じです。
おしゃれで、都会的で、ドライブをしながら聴く「シティ・ポップス」といわれた音楽が流行った頃ですね。
この『横浜タイヤ』のCMソングを集めたアルバムもあったようです。
Posted by エバーラスティング at
01:27
│Comments(2)
2008年03月08日
ビバ☆昭和のヒット曲(寺尾聰)
寺尾聰です。
今は俳優のイメージの方が強いかもしれません。
渋い役者さんです。
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞する名優。お父さんは、
昭和を代表する名優、宇野重吉。
1981年発売の『ルビーの指輪』は、
TBSのザ・ベストテンで12週連続
1位という不滅の記録を作る。
ちなみに、写真は一昨年の12月には発売された、
『Re-Coll Reflections』です。
1981年にリリースされたアルバム『Reflections』のリ・マスターではなくて、リ・メイクです。
1981年当時、寺尾さんは30代半ば。
今でも渋い声ですが、当時から渋い歌声でした。
リ・メイク(Re-Make)版は、今の寺尾さんの声で、長年の音楽仲間と新たに取り直したアルバムです。
渋いです。
「二十数年の時を経て、熟成されたワインの様に…」
長い年月を経てレコーディングする際に、寺尾さんは、
「声、出るかな。」と思ったそうです。
が、いざ本番で、「出る、出る。」とエキサイトしたとか。
日本屈指のミュージシャンの出す音に、魂が重なったそうな。
オリジナル『Reflections』も好きでしたが、(当時、同級生に寺尾さんのファンの子がいてLPレコードを借りました。で、テープに録音。)この『Re-Coll Reflections』も良いです。
JAZYで音に厚みがあり、声に色気があり、かっこいいです。
お酒を飲みながら、ゆったり、まったり、しかもノリノリで聴ける音楽、という気がします。
あっ、ちなみにライブでは聴くほうも、そしてご本人もお酒を飲みながら歌われていそうな気がします(笑)。
昔の映像で、煙草を吸いながらステージで歌っている映像を見ました。
(今ならヒンシュクを買いそうですね。)
私のお薦め(好きな歌)は、「喜望峰」という歌です。
♪北風に追われ南へ向かう
♪俺の行く先は聞いてくれるな
♪独りでいるより二人の方が
♪なおさら孤独な時もある
(中略)
♪世界地図 壁に貼り
♪行方はピン投げて決めるのさ
♪遊ぶみたいに生きてる男が
♪一人いてもいい気がする
♪たぶん離れれば恋しくなるさ
♪君の面影に触れたくなるさ
♪待っててくれとは今は言えない
♪コインでも投げて決めてくれ
勝手な男の言い分でしょうか(笑)
今は俳優のイメージの方が強いかもしれません。
渋い役者さんです。
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞する名優。お父さんは、
昭和を代表する名優、宇野重吉。
1981年発売の『ルビーの指輪』は、
TBSのザ・ベストテンで12週連続
1位という不滅の記録を作る。
ちなみに、写真は一昨年の12月には発売された、
『Re-Coll Reflections』です。
1981年にリリースされたアルバム『Reflections』のリ・マスターではなくて、リ・メイクです。
1981年当時、寺尾さんは30代半ば。
今でも渋い声ですが、当時から渋い歌声でした。
リ・メイク(Re-Make)版は、今の寺尾さんの声で、長年の音楽仲間と新たに取り直したアルバムです。
渋いです。
「二十数年の時を経て、熟成されたワインの様に…」
長い年月を経てレコーディングする際に、寺尾さんは、
「声、出るかな。」と思ったそうです。
が、いざ本番で、「出る、出る。」とエキサイトしたとか。
日本屈指のミュージシャンの出す音に、魂が重なったそうな。
オリジナル『Reflections』も好きでしたが、(当時、同級生に寺尾さんのファンの子がいてLPレコードを借りました。で、テープに録音。)この『Re-Coll Reflections』も良いです。
JAZYで音に厚みがあり、声に色気があり、かっこいいです。
お酒を飲みながら、ゆったり、まったり、しかもノリノリで聴ける音楽、という気がします。
あっ、ちなみにライブでは聴くほうも、そしてご本人もお酒を飲みながら歌われていそうな気がします(笑)。
昔の映像で、煙草を吸いながらステージで歌っている映像を見ました。
(今ならヒンシュクを買いそうですね。)
私のお薦め(好きな歌)は、「喜望峰」という歌です。
♪北風に追われ南へ向かう
♪俺の行く先は聞いてくれるな
♪独りでいるより二人の方が
♪なおさら孤独な時もある
(中略)
♪世界地図 壁に貼り
♪行方はピン投げて決めるのさ
♪遊ぶみたいに生きてる男が
♪一人いてもいい気がする
♪たぶん離れれば恋しくなるさ
♪君の面影に触れたくなるさ
♪待っててくれとは今は言えない
♪コインでも投げて決めてくれ
勝手な男の言い分でしょうか(笑)
Posted by エバーラスティング at
01:13
│Comments(4)
2008年03月06日
ビバ☆昭和の歌番組♪「ベストテン」
木曜夜9時「ザ・ベストテン」
TBSの看板番組。
司会は黒柳徹子、久米宏。
生放送のこの番組のキャッチフレーズは、
「追いかけます。どこまでも!」(←だったと思います。)
日本各地、コンサート会場、移動中、海外衛星中継まで。
「追っかけアナウンサー」が、日本中(海外まで)飛び回って中継してました。
とにかく豪華な演出でした。しかも生放送。
秒刻みの進行に、ミスのないよう気を張る裏方さん達の心労はたいへんなものだったのでは。
田原俊彦、松田聖子は、この番組が育てたようなものではないでしょうか。
だって、毎週のように出てましたから。
レコード売上、ゆうせんリクエスト、ラジオオンエア数、ファン投票などによる、番組独自の方法でランキングを決める番組でした。
ファンならたくさん葉書書いちゃいますよね。
ニューミュージックの旗手と言われる方達が、独特のスタイルをついて交渉してもテレビに出ませんでしたね。
シンガーソングライターはテレビには出ないのが通説になってました。
ザ・ベストテンの初期の頃にチャートインかつテレビ出演をした歌手は、ピンクレディー、ジュリー(沢田研二)、西城秀樹、山口百恵、他。
こうした固定ファンのいるベストテンの顔のような方達の他に、新星のごとくいろんな方が出演されてました。
渡辺真知子、八神純子、庄野真代、大橋純子、皆さん抜群の歌唱力でした。(←なぜか女性歌手が印象深いです。)
ヒット曲は、大きなプロジェクトが組まれたようですね。
確実にヒットする、いや、ヒットさせる曲は、「化粧品」のコマーシャルソング。
サーカス「ミスターサマータイム」
渡辺真知子「唇よ、熱く君を語れ」
堀内孝雄「君の瞳は10000ボルト」
竹内まりや「不思議なピーチパイ」
など、など、など。。。
春は口紅のコマーシャルソング。
秋は目元(アイシャドー)がテーマ。
まだお化粧をする年齢ではありませんでしたが、私は「化粧品」のコマーシャルソングが好きでした。
どこのチャンネルをひねっても流れていて、美しいキャンペーンガールの映像は印象に残りますし。
十代の頃は、よく憶えていましたね。
あの年の春の「カネボウ」はこの曲で、「資生堂」はこれで、秋はあの歌だった、という風に。
もう、忘れてしまいましたが。
こうしていろいろとその歌の流行った時期を憶えているのは、コマーシャルソングでヘビーローティーションで耳にしていたこともありますが、「ザ・ベストテン」でランキングされ、毎週見ていたからかも。
この番組は、司会の黒柳徹子と久米宏の絶妙なコンビネーションもあり、歌手の方のいろんなおもしろい話が聞けたり、意外な一面とかが見れたり。
有名なのは演歌歌手の大川栄作の「タンス担ぎ」でしょうか。
実家が家具屋さん。一人で肩に「タンス」を担ぐという離れ業を
見せてくれました。担いで運ぶのです。すごい!
それから、私が印象深く憶えているのは、「勝手にシンドバット」が大ヒットしたものの、、次の曲作りに行き詰まり、
「おかあさ~ん、ノイローゼ、ノイローゼ」
と、黒柳さんに叫んでいたサザンの桑田さんです。
「おかあさん」とは黒柳徹子さんのことで、黒柳さんも「息子よ」、と言ってました。
タンクトップに短パン、ギターを抱えた、当時まだ青山学院大学の学生だった桑田さん。
「この大学生のにーちゃん、テレビで『ノイローゼ!ノイローゼ!』って…なに言ってる(??)」と、思いました(笑)
あれから二十数年の歳月が流れています。いや、30年近い年月です。
あの時、「ノイローゼ!」と叫んでいた桑田さん、その後数々のヒット曲を出してますね。
TBSの看板番組。
司会は黒柳徹子、久米宏。
生放送のこの番組のキャッチフレーズは、
「追いかけます。どこまでも!」(←だったと思います。)
日本各地、コンサート会場、移動中、海外衛星中継まで。
「追っかけアナウンサー」が、日本中(海外まで)飛び回って中継してました。
とにかく豪華な演出でした。しかも生放送。
秒刻みの進行に、ミスのないよう気を張る裏方さん達の心労はたいへんなものだったのでは。
田原俊彦、松田聖子は、この番組が育てたようなものではないでしょうか。
だって、毎週のように出てましたから。
レコード売上、ゆうせんリクエスト、ラジオオンエア数、ファン投票などによる、番組独自の方法でランキングを決める番組でした。
ファンならたくさん葉書書いちゃいますよね。
ニューミュージックの旗手と言われる方達が、独特のスタイルをついて交渉してもテレビに出ませんでしたね。
シンガーソングライターはテレビには出ないのが通説になってました。
ザ・ベストテンの初期の頃にチャートインかつテレビ出演をした歌手は、ピンクレディー、ジュリー(沢田研二)、西城秀樹、山口百恵、他。
こうした固定ファンのいるベストテンの顔のような方達の他に、新星のごとくいろんな方が出演されてました。
渡辺真知子、八神純子、庄野真代、大橋純子、皆さん抜群の歌唱力でした。(←なぜか女性歌手が印象深いです。)
ヒット曲は、大きなプロジェクトが組まれたようですね。
確実にヒットする、いや、ヒットさせる曲は、「化粧品」のコマーシャルソング。
サーカス「ミスターサマータイム」
渡辺真知子「唇よ、熱く君を語れ」
堀内孝雄「君の瞳は10000ボルト」
竹内まりや「不思議なピーチパイ」
など、など、など。。。
春は口紅のコマーシャルソング。
秋は目元(アイシャドー)がテーマ。
まだお化粧をする年齢ではありませんでしたが、私は「化粧品」のコマーシャルソングが好きでした。
どこのチャンネルをひねっても流れていて、美しいキャンペーンガールの映像は印象に残りますし。
十代の頃は、よく憶えていましたね。
あの年の春の「カネボウ」はこの曲で、「資生堂」はこれで、秋はあの歌だった、という風に。
もう、忘れてしまいましたが。
こうしていろいろとその歌の流行った時期を憶えているのは、コマーシャルソングでヘビーローティーションで耳にしていたこともありますが、「ザ・ベストテン」でランキングされ、毎週見ていたからかも。
この番組は、司会の黒柳徹子と久米宏の絶妙なコンビネーションもあり、歌手の方のいろんなおもしろい話が聞けたり、意外な一面とかが見れたり。
有名なのは演歌歌手の大川栄作の「タンス担ぎ」でしょうか。
実家が家具屋さん。一人で肩に「タンス」を担ぐという離れ業を
見せてくれました。担いで運ぶのです。すごい!
それから、私が印象深く憶えているのは、「勝手にシンドバット」が大ヒットしたものの、、次の曲作りに行き詰まり、
「おかあさ~ん、ノイローゼ、ノイローゼ」
と、黒柳さんに叫んでいたサザンの桑田さんです。
「おかあさん」とは黒柳徹子さんのことで、黒柳さんも「息子よ」、と言ってました。
タンクトップに短パン、ギターを抱えた、当時まだ青山学院大学の学生だった桑田さん。
「この大学生のにーちゃん、テレビで『ノイローゼ!ノイローゼ!』って…なに言ってる(??)」と、思いました(笑)
あれから二十数年の歳月が流れています。いや、30年近い年月です。
あの時、「ノイローゼ!」と叫んでいた桑田さん、その後数々のヒット曲を出してますね。
Posted by エバーラスティング at
23:17
│Comments(2)
2008年03月05日
ビバ☆昭和の歌番組♪「スタ誕」
日本テレビ「スター誕生」。
このオーデション番組から、
中森明菜や小泉今日子、岩崎宏美やピンクレディー、
山口百恵、桜田淳子などがデビューしています。
最初の司会は欽ちゃん。(その後、坂本九)
欽ちゃんの人懐っこい語りは、緊張の極致だった出場者達の
気持ちをほぐしたり、また、会場の人達にも話しかけたり、
まさに欽ちゃん節。
時々、会場には修学旅行の中学生や高校生がいて、欽ちゃんが、
「○○○学校の皆さんが見学に来てます。」
と紹介していました。
このオーデション番組は、まず葉書で応募し、各地方会場での
オーディションを受け、合格した人達が公開放送の番組に出場が出来て、
そこで優勝した人が、後で開催される決勝大会に挑める、
という形式だったと思います。。
決勝大会は各プロダクションや、レコード会社の
敏腕スカウトマン達が、神妙な面持ちで席に連なっていました。
「この子だ!」と思った金の卵を、自社のプラカードを掲げて、
スカウトするのです。1つもプラカードが揚がらない人もいれば、
ほとんど全社勢ぞろい、というような人もいました。
ニコニコ動画で、中森明菜の決勝大会の様子がUPされているのを、
たまたま見ました。
優勝者ではなく、次点のような感じでした。
あどけない面影が残る中李明菜は、信じられないウエストの細さ。
(それは今でも変わらないけれど)
(子供の頃からバレーをやっていたらしい)
髪型はすでに「中森明菜の髪型」。
デビュー後と違う点は口元。
(本人もデビューに向けて歯の矯正をしたと言っている。)
この番組でよく歌われている歌がありました。
岡田奈々の「青春の坂道」という歌です。
岡田奈々はこの番組の合格者ではありません。
この番組でデビューした歌手の歌を歌う人が多い中、
なぜかこの歌はよく歌われてました。
歌いやすい歌なのか、青春ラブソングで印象が良いのか。
♪さみしくなると訪ねる坂道の古本屋
♪立ち読みをする君に逢える気がして
♪心がシュンとした日は昔なら君がいて
♪おどけては冗談で笑わせてくれた
♪青春は長い坂を登るようです
♪誰でも息を切らし一人立ち止まる
♪そんな時君の手の優しさに包まれて
♪気持ちよく泣けたなら幸せでしょうね
え~、なぜ憶えているのかというと、
好きだったんです。
この歌。
メロディーが憶えやすく、胸がキュンとする歌詞です。
少女漫画の1コマのようなシチュエーションですね。
高橋亮子の漫画(小学校4年生の頃好きでした)のイメージです。
ちなみに、欽ちゃんの司会の頃は、
合格者が出た時は、「ばんざーい。」と手を挙げ、
合格者が出なかった時は、「ばんざーい、なしよ。」と言って、
挙げた手を斜めに下げる、というスタイルで、
毎回番組は終わっていました。
※こちらも、子供の頃見ていた歌番組ですので、
何らかの記憶違いとかがあるかもしれません。
お気づきになった方はどうか教えて下さいませ。
よろしくお願い致します。(#^^#)
このオーデション番組から、
中森明菜や小泉今日子、岩崎宏美やピンクレディー、
山口百恵、桜田淳子などがデビューしています。
最初の司会は欽ちゃん。(その後、坂本九)
欽ちゃんの人懐っこい語りは、緊張の極致だった出場者達の
気持ちをほぐしたり、また、会場の人達にも話しかけたり、
まさに欽ちゃん節。
時々、会場には修学旅行の中学生や高校生がいて、欽ちゃんが、
「○○○学校の皆さんが見学に来てます。」
と紹介していました。
このオーデション番組は、まず葉書で応募し、各地方会場での
オーディションを受け、合格した人達が公開放送の番組に出場が出来て、
そこで優勝した人が、後で開催される決勝大会に挑める、
という形式だったと思います。。
決勝大会は各プロダクションや、レコード会社の
敏腕スカウトマン達が、神妙な面持ちで席に連なっていました。
「この子だ!」と思った金の卵を、自社のプラカードを掲げて、
スカウトするのです。1つもプラカードが揚がらない人もいれば、
ほとんど全社勢ぞろい、というような人もいました。
ニコニコ動画で、中森明菜の決勝大会の様子がUPされているのを、
たまたま見ました。
優勝者ではなく、次点のような感じでした。
あどけない面影が残る中李明菜は、信じられないウエストの細さ。
(それは今でも変わらないけれど)
(子供の頃からバレーをやっていたらしい)
髪型はすでに「中森明菜の髪型」。
デビュー後と違う点は口元。
(本人もデビューに向けて歯の矯正をしたと言っている。)
この番組でよく歌われている歌がありました。
岡田奈々の「青春の坂道」という歌です。
岡田奈々はこの番組の合格者ではありません。
この番組でデビューした歌手の歌を歌う人が多い中、
なぜかこの歌はよく歌われてました。
歌いやすい歌なのか、青春ラブソングで印象が良いのか。
♪さみしくなると訪ねる坂道の古本屋
♪立ち読みをする君に逢える気がして
♪心がシュンとした日は昔なら君がいて
♪おどけては冗談で笑わせてくれた
♪青春は長い坂を登るようです
♪誰でも息を切らし一人立ち止まる
♪そんな時君の手の優しさに包まれて
♪気持ちよく泣けたなら幸せでしょうね
え~、なぜ憶えているのかというと、
好きだったんです。
この歌。
メロディーが憶えやすく、胸がキュンとする歌詞です。
少女漫画の1コマのようなシチュエーションですね。
高橋亮子の漫画(小学校4年生の頃好きでした)のイメージです。
ちなみに、欽ちゃんの司会の頃は、
合格者が出た時は、「ばんざーい。」と手を挙げ、
合格者が出なかった時は、「ばんざーい、なしよ。」と言って、
挙げた手を斜めに下げる、というスタイルで、
毎回番組は終わっていました。
※こちらも、子供の頃見ていた歌番組ですので、
何らかの記憶違いとかがあるかもしれません。
お気づきになった方はどうか教えて下さいませ。
よろしくお願い致します。(#^^#)
Posted by エバーラスティング at
00:10
│Comments(4)
2008年03月03日
ビバ☆昭和の歌番組♪「夜ヒット」
昔は歌番組がたくさんあった。
どのテレビ局も生放送の歌番組を持っていた。
TBSなら「ザ・ベストテン」
フジテレビなら「夜のヒットスタジオ」
日テレは沖縄にはキー局がないので、リアルタイムで見れる
番組そのものが少なかった(これは今でも変わらない)。
日曜日のお昼のオーデション番組「スター誕生」。
番組そのものは公開録画のものだったと思うが、
放送は、本土と沖縄で同時だったのでは…(違うかな)。
木曜の9時が「ザ・ベストテン」で、月曜10時が「夜のヒットスタジオ」
だった(と記憶している。)ちなみに、「夜のヒットスタジオ」の方が古い。
古いというのは、「ザ・ベストテン」よりだいぶ前から放送されている
ということだ。おそらく、私が生れる前から。
「夜のヒットスタジオ=夜ヒット」のお話。
沖縄海洋博が開催された年、「夜ヒット」は沖縄海洋博覧会の会場より
中継(生放送)をした。
予定では、博覧会会場の野外施設より中継をするはずだった。
しかし、台風の到来で同会場内のとある施設内からの放送となった。
まだ子供だった私が憶えていることは、
ものすごく狭い場所からの中継だったことだ。
皆、肩を寄せ合うように座っていたような気がする。
しかも水着姿だった(?)ような。
たしか、百恵ちゃんもいた。
外は暴風だという様子が少し映し出されていた、と思う。
東京から、歌手、スタッフ総出で沖縄まで繰り出して来たのだと思う。
初めての沖縄からの中継だったのでは。
しかも場所は沖縄本島北部の本部。
那覇からは遠く、名護からも距離がある。
それに、あの頃はまだ名護の七曲りがメインの道路として利用されていた。
台風が来たら、まともに海水をかぶる海岸線ギリギリの所にも、
国道58号線は通っていた。
台風が近づく強風の中を、時々潮水を被りながら、
北上して海洋博会場まで行ったのだろうか。
それとも、その当時すでに名護までの高速は通っていたのかな(??)
どなたか教えて下さいませ。
でも…
沖縄サイドの放送局は助言をしなかったのかな。
「那覇から中継しましょう。」って。
那覇には、テレビ局も含めいくつか中継会場となる場所も
あったはずなのに。
見る側としては、めったに見れないイレギュラー放送で、
印象深く残っているけれど。
放送が終わって、おそらくホテルに帰ったのだろうけれど、
出演者もスタッフもたいへんだったのでは。
今ならそういう無茶はしないね、きっと。
ちなみに「夜ヒット」は、番組冒頭に、メドレーというのがあって、
歌を歌いながらその日のゲストを次々に紹介していた。
1番目の人が、次の歌手の歌をワンフレーズ歌い、
その歌手の近況などを紹介しながら、マイクをその歌手に渡すのだ。
マイクを渡された歌手は、また次の歌手の持ち歌を歌い、
それをリレーのようにマイクを渡して繋げていく。
この人がこの歌を歌ったら、こんな感じなんだと、新鮮な印象を受けたり、
なかには、ワンフレーズの歌詞を憶えられず、恐縮して次の方に謝ったり。
生放送は、ふだん見ることの少ない歌手の様子が垣間見れて、
とてもおもしろかった。
生バンドでの演奏は歌手の実力が出る機会でもあり、
はずしっぱなしの人もいたり、また抜群に生歌が上手い人もいた。
いろいろと見てみたい古い歌番組がたくさんある。
時々、動画でUPされ、見れることがあるけれど、
しばらくすると消されてしまう。
著作権云々のいろんな問題はあるかもしれないけれど、
この時代の生放送の歌番組を見ていた世代の方たちの中には、
私のように思っている人も多いのでは。
「夜ヒット沖縄海洋博覧会より中継の巻」←勝手にこう呼んでみました。
子供の頃の思い出なので、勘違いや思い違いとかもあるかもしれません。
もし事実と違う内容があったら、どなたか教えて下さい。
よろしくお願い致します。
どのテレビ局も生放送の歌番組を持っていた。
TBSなら「ザ・ベストテン」
フジテレビなら「夜のヒットスタジオ」
日テレは沖縄にはキー局がないので、リアルタイムで見れる
番組そのものが少なかった(これは今でも変わらない)。
日曜日のお昼のオーデション番組「スター誕生」。
番組そのものは公開録画のものだったと思うが、
放送は、本土と沖縄で同時だったのでは…(違うかな)。
木曜の9時が「ザ・ベストテン」で、月曜10時が「夜のヒットスタジオ」
だった(と記憶している。)ちなみに、「夜のヒットスタジオ」の方が古い。
古いというのは、「ザ・ベストテン」よりだいぶ前から放送されている
ということだ。おそらく、私が生れる前から。
「夜のヒットスタジオ=夜ヒット」のお話。
沖縄海洋博が開催された年、「夜ヒット」は沖縄海洋博覧会の会場より
中継(生放送)をした。
予定では、博覧会会場の野外施設より中継をするはずだった。
しかし、台風の到来で同会場内のとある施設内からの放送となった。
まだ子供だった私が憶えていることは、
ものすごく狭い場所からの中継だったことだ。
皆、肩を寄せ合うように座っていたような気がする。
しかも水着姿だった(?)ような。
たしか、百恵ちゃんもいた。
外は暴風だという様子が少し映し出されていた、と思う。
東京から、歌手、スタッフ総出で沖縄まで繰り出して来たのだと思う。
初めての沖縄からの中継だったのでは。
しかも場所は沖縄本島北部の本部。
那覇からは遠く、名護からも距離がある。
それに、あの頃はまだ名護の七曲りがメインの道路として利用されていた。
台風が来たら、まともに海水をかぶる海岸線ギリギリの所にも、
国道58号線は通っていた。
台風が近づく強風の中を、時々潮水を被りながら、
北上して海洋博会場まで行ったのだろうか。
それとも、その当時すでに名護までの高速は通っていたのかな(??)
どなたか教えて下さいませ。
でも…
沖縄サイドの放送局は助言をしなかったのかな。
「那覇から中継しましょう。」って。
那覇には、テレビ局も含めいくつか中継会場となる場所も
あったはずなのに。
見る側としては、めったに見れないイレギュラー放送で、
印象深く残っているけれど。
放送が終わって、おそらくホテルに帰ったのだろうけれど、
出演者もスタッフもたいへんだったのでは。
今ならそういう無茶はしないね、きっと。
ちなみに「夜ヒット」は、番組冒頭に、メドレーというのがあって、
歌を歌いながらその日のゲストを次々に紹介していた。
1番目の人が、次の歌手の歌をワンフレーズ歌い、
その歌手の近況などを紹介しながら、マイクをその歌手に渡すのだ。
マイクを渡された歌手は、また次の歌手の持ち歌を歌い、
それをリレーのようにマイクを渡して繋げていく。
この人がこの歌を歌ったら、こんな感じなんだと、新鮮な印象を受けたり、
なかには、ワンフレーズの歌詞を憶えられず、恐縮して次の方に謝ったり。
生放送は、ふだん見ることの少ない歌手の様子が垣間見れて、
とてもおもしろかった。
生バンドでの演奏は歌手の実力が出る機会でもあり、
はずしっぱなしの人もいたり、また抜群に生歌が上手い人もいた。
いろいろと見てみたい古い歌番組がたくさんある。
時々、動画でUPされ、見れることがあるけれど、
しばらくすると消されてしまう。
著作権云々のいろんな問題はあるかもしれないけれど、
この時代の生放送の歌番組を見ていた世代の方たちの中には、
私のように思っている人も多いのでは。
「夜ヒット沖縄海洋博覧会より中継の巻」←勝手にこう呼んでみました。
子供の頃の思い出なので、勘違いや思い違いとかもあるかもしれません。
もし事実と違う内容があったら、どなたか教えて下さい。
よろしくお願い致します。
Posted by エバーラスティング at
23:07
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2008年03月03日
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ちなみに私の元に届いたのは200番代でした(^O^)/
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Posted by エバーラスティング at
22:42
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